会津藩 手代木直右衛門勝任の墓




会津藩で籠城戦を戦った手代木勝任は、明治以降岡山に定住し生涯を終えた。
新撰組との関係、坂本竜馬暗殺の黒幕など話題の多い人物で、明治維新を生き抜いた。

岡山市連合町内会(22号)


     19号   20号 手代木直右衛門勝任の詳しい解説




手代木直右衛門勝任の墓(岡山市東山墓地)



手代木勝任君墓碑銘

孫には、岡山市出身 昭和10年山一証券社長に就任した 太田収氏(母が勝任の娘)、
新島八重の養女となった広津初子(母が勝任の娘で米沢の甘糟家に嫁す)がいた。
初子は、母が早くになくなり、津山の祖父母のところで3年間養育された。
その後手代木勝任亡き後、初子は夫(新島襄の高弟・広津友信、第六高等学校の英語教師)とともに岡山に住み、
最後には、祖母と同居し、祖母の最後をみとった。
その翌年には岡山を離れている。



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作成者 藤本典夫