児島八浜合戦
毛利氏は、穂田伊予守元清を大将とし、児鳥を制圧しようと計画し、八浜の西四十町ばかりの所に布陣し、
麦飯山(現玉野市八浜町)に砦を築いた。この毛利勢の児島進出にたいし、
岡山城では宇喜多忠家の長男与太郎基家を大将とし、
戸川・岡、その他の諸将を添え、大挙して渡海し、
八浜の手前の両子山城に布陣した。
毛利、宇喜多の両軍は、互いに足軽を出して小競り合いを繰り返した。
さて八月二十二日の朝、大崎村(現同市八浜町大崎・JR宇野線八浜駅周辺)で大合戦となった。
岡山方では総大将の宇喜多与太郎基家が討ち死に、散々の負け戦となった。
八浜に基家を祭った与太郎神社がある。
毛利方も、決定打が出ず、最終的に押し返された。
新釈 備前軍記(柴田一編著)より詳細を転記
両児山(両子山)城から大崎村方面遠望
木々の向こうに、右側が常山城、中央が麦飯山、左手下に与太郎神社がある。
両児山は、二つの山が南北に盛り上がっていて、八浜市街は、この山の陰に隠れるように
密集している。
八浜の町並み
南側の山の山頂が八浜城址。
南側がお寺の墓地、北側が八幡宮になっている。
北を望むと、八幡宮のある山の向こうに岡山市街を望める。