兵庫県上郡町落地(おろち)
古代山陽道 野磨(やま)駅家
古代山陽道が落地を通過していた。
この地で、掘立柱建物群が発見され、野磨駅家跡と目されている。(落地八反坪遺跡)
その後、東側の飯坂峠に近いところで、瓦葺の野磨駅家が発見された。(落地飯坂遺跡)
中央に旧山陽道があり、両側に側溝が整備された10m程度の古代山陽道があったことがうかがえる。 |
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落地の東側、飯坂峠に近い場所では、現在も発掘調査が行われている。 (落地飯坂遺跡:瓦葺の野磨駅家跡) |
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古代は、加古川まで吉備氏の勢力下であったため、明らかに平安時代になっても、野磨と書いて、ヤマと読ませ、巨大な蛇(オロチ)の話を伝えている。 都からは、出雲神話の入り口の地として有名であった。 古代の山陽道が最大の難所「船坂峠」を越える手前の駅家であり、荷馬車が盗賊に襲われたり、大宰府に向かう公家が殺されたりしたため、恐ろしい場所として、紹介された。 (建物の構造について) |
古代山陽道駅家の成立について
大宝元年(701)の大宝律令(及びその改良版の養老律令)の
厩牧令(くもくりょう)
作成者 藤本典夫