日本古代年表
神武天皇から清寧天皇即位まで、日本史に年表がありません。
本当は、歴史そのものが創作された部分があるかもしれませんが、
中国、朝鮮の歴史書には、年代のわかる文書が残されており、
日本書紀と対比する作業を、数々見てきました。
そこで、欠史8代とそれ以降を分けて、歴史年表を完成したいと思います。
どこかに真実が眠っています。
年号赤(たとえば239年 中国 卑弥呼が魏に使いを送る。)は、確定した歴史年表です。
その他の年号は、このページ管理者の仮説です。皆様のご意見をお知らせください。
日本建国は、238年とした。 中国に倭国が明記されている239年と同時期
九州から、吉備、近畿と神武が東征すると、九州では239年にはある程度、統一されて、
中国に貢朝することができる。
神武は、やはり半島からの軍勢を率いて九州から近畿まで統一した人物であった。
そこには、高句麗の王と重なる部分が多く、半島、日本の区別がなかった。
ここから、また新たな歴史が始まる。
266年 晋武帝 泰初2年 倭の女王が貢物を持参
270年 高句麗 西川王即位(270年から292年まで)
284年 百済 阿直岐が日本にきた。
285年 百済 王仁が日本にきて、「千字文」「論語」などを献上した。
286年 百済 責稽王(286年から298年まで)
288年 日本 第9代 開化天皇即位 太歳甲申(戊申:甲申264年から24年後)
なぜ、264年に戻るのか疑問が残るが、「えと」は60年単位で元の戻るので
中国、高句麗の書物から「えと」をたどると、「きのえ・さる」は、
甲申264年・甲申324年・甲申384年はともに、
同じ年として扱うことがある。
289年 中国 東夷絶遠30余国が貢朝(晋書)
292年 高句麗 烽上王即位(292年から300年まで)
298年 高句麗 百済を攻める。 百済・責稽王殺害
300年 高句麗 美川王即位(300年から)
300年 日本 崇神天皇(第10代天皇即位)太歳甲申(庚申:甲申264年の36年後)
310年 百済応援に、吉備の先住民の出雲振根(百済の王子温羅)が筑紫に行った。
その後、吉備に帰還したが、四道将軍「吉備津彦」に攻められ、殺された。
吉備の石上神社を大和に移し、石上神宮に遷し加え祭る。
(参考)日本書紀神代 八岐大蛇にて
草薙の剣は尾張にあり、その大蛇を切った剣は、(日本書紀1書第2 いま石上にあり)
(日本書紀1書第3 吉備の神部にあり)と言われたのが石上布都魂神社
助けた女性は、稲田姫で、景行天皇の皇后播磨稲日太郎姫に瓜二つ
暴れ者のスサノウと日本武尊も瓜二つ
320年 日本 垂仁天皇(第11代天皇即位) 太歳壬辰(庚辰:壬辰272年の48年後)
320年 高句麗 美川王が10年間所在不明、その間日本に逃げていた。
石上神宮に剣1000口を納める。「八尺瓊の勾玉」も納めた。
石上の神宝と呼ばれた。
323年 日本 景行天皇即位 太歳辛未(丁未:辛未311年の12年後)
景行天皇 2年春 3月3日 播磨稲日太郎姫(吉備出身)を皇后とする。
その子 日本武尊誕生
「草薙の剣」が登場
335年 日本 成務天皇即位 太歳辛未(丁未:辛未311年の24年後)
348年 日本 仲哀天皇即位 太歳壬申(戊申:壬申312年の36年後)
日本武尊の子
356年 日本軍 新羅王を殺す。
357年 仲哀天皇崩御
357年 神功皇后 新羅出兵
369年 泰和4年 石上神宮所蔵の七支刀が造られた。(百済からの贈り物)
倭国が新羅から7カ国を平定し、百済に与えた。
378年 日本 応神天皇即位 太歳庚寅(戊寅:庚寅330年の48年後)
吉備の兄媛と関係
385年 日本 仁徳天皇即位 太歳癸酉(乙酉:癸酉373年の12年後)
吉備の黒媛と関係
391年 朝鮮に出兵 高句麗と戦う。
413年 倭国王、晋に遣使、朝貢(晋書)
421年 倭王 讃、宋に遣使(宋書)
424年 日本 履中天皇即位 太歳庚子(甲子:庚子400年の24年後)
430年 日本 反正天皇即位 太歳丙午(甲午:丙午406年の24年後)
436年 日本 充恭天皇即位 太歳壬子(丙子:壬子412年の24年後)
438年 倭王 珍 が宋の文帝より安東将軍に任ぜられる(宋書)
451年 倭王 済 朝鮮半島における失地の称号を所望する(宋書)
454年 日本 安康天皇即位 太歳甲午
457年 日本 雄略天皇即位 太歳丁酉
460年 倭王 興 即位(宋書)
461年 百済 「昆支」が兄の蓋鹵(こうろ)王に派遣されてヤマトに来た
有王 −− 蓋鹵王
|- 昆支 −− 末多(東城王)
|− 武寧王
461年 百済 武寧王が日本で誕生
462年 倭王 興 が宋に遣使、宋の孝武帝に朝貢(宋書)
463年(雄略 7年) 百済から漢手人部、衣縫部らの献上
463年 下道臣前津屋の反乱 下道氏高梁川西に転地
463年 上道臣田狭の反乱 新羅と結ぶ
470年(雄略14年)漢媛、兄媛、弟媛 渡来
471年(雄略15年)秦氏 渡来
471年 「辛亥の年大王の宮で鉄剣を作らせた。」埼玉県行田市「稲荷山古墳」から鉄剣出土
475年 漢城は陥落 百済蓋鹵王 高句麗との戦で戦死 王子の文周南方へ
477年 百済 貴族の真桀取・木満致らの努力によって、文周王が熊津で即位
(木満致は、蘇我氏一族の祖となった蘇我満智)
477年 文周王は兵官佐平の解仇に実権を奪われ殺害される。
478年 倭王 武 の上表文(宋書)
479年 筑紫の軍士500人をもって末多を護送して以来、積極的に百済復興を支援する。
479年 東城王(末多王)が即位
479年 日本 雄略天皇崩御
479年(雄略23年)天皇後継をめぐって、「星川皇子の変」
稚媛、星川皇子、上道国造兄君などの反乱
480年 日本 清寧天皇即位 太歳庚申(庚申480年)
502年 東城王(末多王)の暴虐によって、武寧王即位
日本古代年表
2000年3月17日 藤本典夫作成
参考文献
講談社学術文庫:「日本書紀(上)」宇治谷 孟氏著
文芸春秋刊:解説「謎の四世紀」小林惠子氏著
ソフト:年号干支.exe すべての「年号えと」はこのソフトで算出した。