池田筑後守長発(ながおき)の陣屋跡(現在 岡山県井原市の井原小学校)
岡山県井原市の旗本で、外国奉行を勤め、幕末にフランス使節団の正使となった。
池田筑後守長発の銅像 |
この地は、寛永19年(1642年)より、幕末まで旗本池田修理家の陣屋が置かれたところである。
10代目領主 池田筑後守長発 略歴
1837年(天保8年) 江戸西窪 直参旗本池田加賀守長休(ながやす)の四男として生まれる。
1853年(嘉永6年)、17歳で井原の10代目の領主となった。 長発の領地は1200石
1863年(文久3年)27歳で外国奉行に抜擢され、遣欧使節正使を命じられる。
1964年(文久4年・元治元年)3月フランスに到着し、パリにて皇帝ナポレオン3世に謁見し、
2ヶ月にわたり、横浜鎖港問題等について外交交渉にあたる。
帰国後、鎖国政策をやめ、開国の建議書を幕府に差し出したが、
長発の石高を半分に減らし蟄居を命じられた。
1967年(慶応3年)罪を許され軍艦奉行となった。
明治となり新政府が成立する。
その後、井原に帰住を決意し、
井原に学問所(井原心学館)を作り青少年を育てることを構想していたが、
1879年(明治12年)没
井原の陣屋の跡地である井原小学校には、生誕150年を記念して長発の銅像が立てられた。
井原小学校の敷地にはもともと、江戸時代に領主であった旗本池田家によって建てられた陣屋(役所)がありました。
この敷地内に学問所を建てる計画が挙がり、10代目の池田筑後守長発は自ら「心学館」と名づけ、その思い入れは相当のものでしたが、
途中病に伏しその願いは叶いませんでした。
正面玄関の東側にある庭園「冬園」には、昭和61年(1986年)に長発の生誕150年を記念して、
陣屋跡を示す石碑と池田筑後守長発の銅像が並んで設置されました。
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作成者 藤本典夫