中仙道・番場宿  蓮華寺




  

寺の方の話では、北条仲時公以下430余名のお墓は、寺の境内に散在していたが、
江戸時代、井伊の殿様が馬で蓮華寺を訪ねたとのこと。
その夜、仲時公が、夢に現れ「馬で見下ろすとは、何事」といわれ、
北条仲時公のお墓は、向かいの山の頂上に移転したそうです。
お墓も、このように、集めて、整然とお祭りしたそうです。

北条仲時公のお墓は、鉄塔の右側にあるそうです。
蓮華寺から西の方角

(北条仲時公の時代)

元徳2年(1330年)12月27日、六波羅探題北方就任。
元徳3年(1331年) 9月28日、後醍醐天皇の立て篭もる笠置山を陥落させる。
        天皇を隠岐へ配流。(後醍醐天皇、岡山県通過)
正慶2年(=元弘3年、1333年)5月、足利高氏・赤松則村らが京を占拠。六波羅陥落。
仲時公は、中仙道番場宿まで敗走し、5月9日、倒幕軍に包囲され配下の将兵430余人と共に自刃して果てる。
その後、同年5月21日、新田義貞らが鎌倉奪取。北条高時以下、一門数百人が東勝寺で自刃。
 鎌倉幕府は滅亡した。





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作成者 藤本典夫